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こういうことを恐れるのだ [山口県光市母子殺害事件考]

63年に起きた「狭山事件」、すでに無期懲役が確定し現在仮釈放中の石川一雄さんが、無罪を主張して第3次の再審請求を東京高裁に申し立てを行った。

この事件、発生当時から人権抑圧のシンボルとして人権団体が強硬に無罪主張を繰り返し冤罪を叫んでいるのだ。
すでに発生から40年が過ぎ、自身も仮釈放とは言え自由を手にしている。
そして2回も再審の申し立てをしているにも関わらずそれが通らないからといって3回目に挑んでいるわけだが、確かに本人の持つ権利なのだから正当な行動とは言え如何なものなのだろうか。

何よりも恐れているのは、山口光市母子殺害事件で人権派弁護団が「過失傷害罪」を訴えている姿をみて、彼の被告が無期懲役になった時には同様の行動を起こすのではないかと心配でならない。
現在は、実際に手をかけたことまでは認めているが、その内にいややっぱりやっていないという新事実が出てきたと言いかねないと思うのだ。

だから殺(死刑に)してしまえというのではない。
裁判の再審を求めるにしても「新たな証拠が出たら何度でも」というのは問題ではないかと思うのだ。

まして、狭山事件の支援者団体はあの暴力団とも関わりのあるとして逮捕されたような人が支部長を務める人権団体だ。
そういった我が意を押し通そうとする団体が絡んでくる可能性も捨て切れない。

素人が見ると三審制、時効、再審、死刑存廃いろいろな矛盾が司法制度には蓄積しているように思えてならない。

狭山事件のような泥沼化してしまうことを私は恐れる。

[5月26日追記]
an_accusedのコメントにあるように、他にも冤罪事件において継続して再審請求が行われていることが分かりました。不勉強でした。
また3次以上の再審請求によって認められたものもあり徳島ラジオ商殺し事件なども第5次請求での無罪判決です。第6次までいったものが有るとは知らず、この点についても不勉強でありました。
何度でも再審を行えば良いのか、という意味でこのような書き方をしており再審請求権を否定しているものではありません。誤解を与えてしまった事についてお詫びします。

ただ好きなだけ再審を請求をすれば良いのでしょうが、それで何が真実なのかが決まるのでしょうか?
三審の間に納得の行く判断がなされるような司法制度になっていただきたいとの願いがこの記事の主旨であることをご理解ください。


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通りすがり

再審請求は被告人だけでなく、検察官もできますし、被告人が死亡した場合はその配偶者、直系親族、兄弟姉妹もできます。すなわち、被告人が死刑になっても、やろうと思えばできます。
by 通りすがり (2006-05-25 10:22) 

南雲しのぶ

通りすがり (2006-05-25 10:22)さん、コメントありがとう。
再審請求の件は存じております。
ただ、今回の件のようにここまでこじれると泥沼になってしまうのではないか、と危惧するところなのです。
結局、いつまで経っても「司法上の真実」が決まらない。
狭山事件だけが各種冤罪事件と呼ばれる物の中で認められていないわけで支援団体もその辺を考えるべきだともうのですが、「金」が付いてまわるようになっちゃいましたからね。
これはこれで問題です。
by 南雲しのぶ (2006-05-25 18:22) 

an_accused

 再審請求が認められていない主要な事件は狭山事件の他にも名張事件、川嶋事件、尾田事件、袴田事件などがあったように思いますし、再審が認められたものの中には第6次請求まで行なったものもあると思うのですが、なぜ「狭山事件だけが各種冤罪事件と呼ばれている物の中で認められていない」と仰っておられるのですか。

 我が国の刑事司法は、「真犯人を必ず処罰する」だけでなく、「無実の者を絶対に罰しない」ことも重要な目標としております。「真実が何か、それが司法では一番大切なこと」だからこそ、厳格な要件の下に再審を認め、無辜を冤罪から救う途を用意しているのです。

 検察には「負け戦と分かっていても起訴せよ」などと公訴権濫用を奨励しつつ、被告人・弁護人には「嘘と聞こえるようなことは主張するな」「何度も再審請求するな」などと防御権を正当に行使することを否定するなどという南雲さまのご見解は、我が国の刑事司法の理念とは全く相容れないものであると言わざるを得ません。

 先日、「弁護人の任務は被告人を守ることではない」などといった思想は旧ソ連において独裁のために利用されていたものであり、現在の我が国の国家理念は相反するものであることをご説明したと思うのですが、ご理解いただけていなかったようで残念です。
by an_accused (2006-05-26 16:41) 

南雲しのぶ

an_accusedさん、コメントありがとう。
そうですね。それら各種請求も入れるべきかもしれません。あげられた事件の中に知らなかったものもあり勉強になりました。
たぶん、司法の世界ではan_accusedさんの仰るとおりなのだと思います。
それについて何か言う事はありません。
本文に一部追記をいたしましが、まだまだ不勉強な点も多いものと思います。

ただ、どうしたら真実が確定するのですかね。
本来であれば、警察・検察が丁寧な捜査や取り調べを行い弁護士が被告を庇護し、裁判官が適切な判断を三回の裁判の中で行われていればこんなことにはならないのではないでしょうか?
それが何故できないのでしょう?結局、弁護士は警察・検察が悪いと言い、警察・検察は弁護士が法廷戦術で引き延ばしやらを仕掛けて来ると言い、裁判官は最高裁へ丸投げするような判決をする。
それぞれが他人へ責任を転嫁し過ぎていませんか?私にはそう見えますが。
他に縋れない特異な世界だから安穏としているのではないでしょうか。
by 南雲しのぶ (2006-05-26 19:34) 

kenji47

>ただ、どうしたら真実が確定するのですかね。

訴訟上の真実は判決が確定した時に一応確定します。
しかし、人間の判断に絶対は有り得ません。
ゆえに新証拠が出てきたときは再審が認められるわけです。

司法といえど、所詮人間の行うことです。
誤審が起こりうることを前提にしているのです。

だから「絶対的」な意味での真実など確定することは無いといってよいでしょう。
そんなこと神様だけしかわかりません。
by kenji47 (2006-05-28 03:24) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
>「絶対的」な意味での真実など確定することは無い・・・
これが一番悩ましいところです。
事件によって人生を狂わされた側からすればどんな刑罰でも納得でできないでしょう。
被告にすれば思っていたのより低い(軽い)刑罰にならなければ納得しないでしょう。
狭山事件にしても、当事者本人も支援者も無実と思い込むには十分な日数が経って、本当の真実に辿り着けないような気もします。
一つお聞きしたいのは、再審を請求するに値する「新事実」に基準はあるのでしょうか?
今回の件では専門家の鑑定書が新証拠だったように思いますが、別の鑑定家なら何度でも新証拠になるのでしょうか?
by 南雲しのぶ (2006-05-28 06:39) 

an_accused

 「再審を請求するに値する『新事実』」ではなく「再審を開始するに値する『新事実』」になら基準があります。
 最決昭和50年5月20日(いわゆる「白鳥決定」)では、「もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達していたであろうかどうか」という観点から判断すべしとされており、これが再審の開始を決定すべきか否かについての判断基準となっています。

 裁判所に判断させることなく、第三者が「再審を請求するに値する『新事実』か否か」を決めることはできません。

 ところで、「狭山事件にしても、当事者本人も支援者も無実と思い込むには十分な日数が経って、本当の真実に辿り着けないような気もします。」とのご見解ですが、当事者や支援者が単に「思い込んでいる」に過ぎないと断定なさった理由は何ですか。
by an_accused (2006-05-28 21:40) 

南雲しのぶ

an_accusedさん、コメントありがとう。
前段ですが、それだと何でもありってことですか。
だとしたら作り出すということも可能なのでしょうね。
後段ですが、an_accusedさんは狭山事件支援団体か人権団体の関係者ですか?
一応お答えしますが、それこそが年数です。
実際、最初からこの事件とともに活動して来た人は何人いるのでしょうか?
あとは全て伝聞での動いているだけでしかありません。「思っているだけ」の人ってことではありませんか?
この事件、人権団が自分たちの力を誇示するためのプロパガンダになってしまいました。
これ以上は、an_accusedさんが関係者でないことが分かるまでは言いたくありません。
by 南雲しのぶ (2006-05-28 21:52) 

an_accused

>南雲さま
 応答をいただき、ありがとうございます。
 新証拠を「作り出す」ことは可能です。もっとも、それを仰るなら凡そ証拠というものは「作り出す」ことが可能です。例えば、交通事件で犯人が自らの会社従業員を替え玉に仕立て自らは有罪判決を免れていたことなども、稀にですが現実に起こっています。これなどは証拠どころか被告人自身を「作り出した」ということになるでしょう。
 ただ、「作られた新証拠」によって裁判所を欺くこと、ましてや厳密な証拠審査が行なわれる再審請求審を欺くことは容易なことではありません。「作られていない新事実」があってもなお、再審請求は認められにくいのが現状なのですから。

 後段についてですが、「実際には犯人だが、卑怯にも事実に反して無実を主張している場合」と、「実際には犯人ではなく、その事実に基づいて無実を主張している場合」があり、現時点では有罪判決が確定している以上、「再審請求者は犯人である」という強い推定が働きます。したがって私たちが現時点で狭山事件の被告人を犯人として捉えることに何ら問題はありません。また、私は「狭山事件の被告人は無実である」と信じているとか、その考えを南雲さまに押し付けるつもりであるということはありません。
 ただ、再審請求権者が再審を請求すること自体は、全国民が有する「裁判を受ける権利」を正当に行使しているに過ぎず、それ自体が咎められるいわれはないということです。
 これらは単純に我が国の刑事訴訟法を語っているに過ぎず、「どこかの人権団体のプロパガンダ」といわれるような代物ではありません。

 さて、例えば先のコメントで取り上げた「白鳥決定」は事件から23年が経過した後に出た再審開始決定ですし、最近話題に上った「横浜事件」にいたっては50年を超えています。一般に再審請求というものはそれが認められるまでには時間がかかるものなので、単に「時間がかかっている」ということが「支援者が無実であると思い込んでいる」ということになるとするならば、ほとんどの再審事件の支援者は「思い込んでいる」に過ぎないということになります。「月日が経過して支援者たちの多くが事件を直接経験せず、伝聞で動いていること」と「再審請求人が無実か否か」が別個の問題であることは、それほど理解に苦しむようなことではないと思われます。

 部落解放同盟にとって重要事件とされている狭山事件について、私が南雲さまと異なる見解を示しているようにみえるから、「私が人権団体の関係者ではないか」とお疑いのようですが、別に狭山事件に限らず、南雲さまが我が国の法体系について誤解されていそうな点について、「それはこういうことですよ」と申し上げているに過ぎません(そもそも、私が貴ブログへのコメント投稿を開始したのは光市母子殺害事件についての記事からであり、狭山事件からではありません)。
 私は何らかの「人権団体」に所属してはおりませんが、とはいえ私が「人権団体」に所属しているか否かについては証明のしようのないことです(「所属していない」と証明するためには、私が実名を明かした上、南雲さまが各「人権団体」に対して私の所属の有無を照会していくより他にありませんが、そこまでするつもりはありません)。

 そもそも南雲さまには応答義務などありませんので、お答えになりたくないということであれば、こちらはこれ以上お答えを求めるつもりはございません。ありがとうございました。
by an_accused (2006-05-28 23:14) 

南雲しのぶ

an_accusedさん、コメントありがとう。
別に疑っているわけではありませんが、人権団体の恐怖を知っているだけに猜疑心が頭をよぎるわけです。
まぁ、それはさておき、一つ誤解があるようですので申し添えますが「プロパガンダ」というのは団体構成員に対してでan_accusedさんに対して言っているわけではありません。
私は今回、自分の知識の薄さを痛感しながらan_accusedさんのコメントにレスすることに必死にっています。
法的知識のなさからですがなかなか上手く伝わらないことに苦慮しております。
繰り返しになりますが、私は再審請求を認めないと言っているわけではありません。
ただただ裁判所を動かすほどの新証拠を集められないままに再審請求をしているという印象があってなりません。
5次、6次まで行くというのは結局そういうことなのではないでしょうか。
一つ気になるのは、再審が認められ改めて裁判が行われた結果無罪となったもので検察が再度再審請求をするというケースは無かったかと思うことなのです。
検察から再審請求というケースというのはあるのでしょうか。
被告側からだけ再審請求が行われているという現実は、警察・検察の捜査取り調べが不当であったり不足であったりということを示していると思うのです。
それはやはり司法制度にゆがみがあるために起きているのではないでしょうか?
警察・検察が正当で正確な捜査取り調べをさせられるようにしなければならないでしょうし。

私の誤解というのは多くの市民が持っている誤解なのではないかと思います。
誤解をしている人が多いということは司法制度自体に歪みがあるのではないでしょうか。
それとも私の考えがひねくれていて、そんなに誤解している人は多く無いのでしょうか。
by 南雲しのぶ (2006-05-28 23:57) 

上の通りすがり

南雲さんがひねくれているということではないと思いますよ。素朴な正義感の強い人だと思います。ただ、民主主義国家における刑事裁判制度というのは、そういう素朴な正義感を強く前面に押し出すのを良しとしないものなんですよね(そうなったのは歴史的な経緯もありますし)。
by 上の通りすがり (2006-05-29 10:12) 

南雲しのぶ

通りすがり (2006-05-29 10:12)さん、コメントありがとう。
素朴というか無知なのでしょうね。
こういう無知な市井の民は司法制度に疑問を持ってはいけないのかも知れません。
司法は難しいというイメージの刷り込みが有るのかも知れないし。
by 南雲しのぶ (2006-05-29 17:29) 

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