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必死さ以外伝わらない [山口県光市母子殺害事件考]

「光市母子殺害控訴審 元少年「頭の中と実際の区別つかず」」(iza!)
「光市母子殺害差し戻し審 第9回の詳報(上)」(iza!)
「光市母子殺害差し戻し審 第9回の詳報(下)」(iza!)


山口県光市母子殺害事件の差し戻し審第3回集中審理の2日目。
痛々しい程に「死にたく無いという必死さ」だけが伝わって来るものだった。
今日の審理の中で、実は一審二審の時の方が本当の意味で謝罪したかったのではないかということが分かる証言が出ている。
「殺人という意味が知らなかった」「傷害致死ということがあることを知らなかった」
と言っている。
これは、そういった刑罰の軽重を知らずに正直に答えていたということではないのか。
まさか死刑になるとは思いもしないで居た時の証言であればあるほど、その信憑性が高くなる。

確かに、これまでであればこの事件は重くて「無期懲役」だったのだと思う。
社会意識を喚起した本村洋氏の頑張りとそれによってわき上がった少年法の厳罰化という流れが「死刑止む無し」という方向性を作ったのだと思っている。
私は、故意であろうが過失であろうが、年齢が何歳であろうが、人が死んだのであれば「殺人罪」で裁かれるべきと思っている。
なので今回の事件も十分に最高刑で良いのだと思っている。
むしろ、最高刑が判決として出されなかったこと自体が不思議でならなかった。

さて、話しは本題に戻るが、被告や人権派弁護団は「無期」で無いことが分かった途端に手のひらを返すかのような態度をとったことが市民の反感をかっていることを一刻も早く理解するべきだ。
マスコミのせいにしてみたり、警察・検察のせいにしてみたり、裁判所のせいにしてみたり、あげくの果てには市民が勝手に狂喜乱舞しているかのごとくの発言が続くこと自体、被告を追い込んでいる。

確かにマスコミはストーリーを作り上げて、それに沿って進めようとしているきらいが無いと言い切れないような対応をしている。
しかし、それに対して市民に理解されるだけの対応をしているだろうか。
それは、否だ。
裁判でさえ勝てれば良いという対応をしているから、ドンドン悪い方向に進んでいる。
これまでの人権派弁護団により法廷戦術であればそれで良かっただろうが、人権派弁護団によって市民が裁判について気づかされるに至ったことは市民にとっては良いことだったのかも知れない。
「人権派」によって日本の「人権意識」が高まらない。

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最後の戦いが始まった

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コメント 10

モコ兄

昨日に引き続き、光市母子殺害事件の裁判に
対してのコメントです。この被告、殺人という
意味を知らなかったと言っているようですが、
18歳(事件当時)で殺人の意味を知らない
訳はないだろう!?と思います。そこまでして
ごく一部の人間に同情してもらいたいのでしょうか?
少し生意気なことを書く様で申し訳ないのですが
昨日南雲さんが裁判官は弁護団の言い分を
鵜呑みにはしないといっていましたが、
言い分を鵜呑みにしなくても、自分の意思で
甘い判決を出す裁判官もいるのも事実です。
昨日と同じ事を書きますが、広島高裁の
裁判官は最高裁の(無期の判決は正義に反する)
という言葉をしっかり受け止めるべきです。
by モコ兄 (2007-09-20 08:25) 

toyo

「私は、故意であろうが過失であろうが、年齢が何歳であろうが、人が死んだのであれば「殺人罪」で裁かれるべきと思っている。」
私もまったくそう思います。「社会的な不遇」とか犯人にとっては「不幸」な場合もあるでしょうが、それでも尚、そう思います。うまくいえませんが、「目には目を」というか、こういう事件はもっと単純に裁いてもいいのだと思います。だって、そうでなければ亡くなられた人は浮かばれませんもの。
by toyo (2007-09-20 08:32) 

南雲しのぶ

モコ兄さん、コメントありがとう。
そうですね。言えば言う程に墓穴を掘っているように思えてなりません。
これだけ人権派弁護団に引き立ててもらえれば死刑となっても執行されることはないでしょう。
鵜呑みの件は、最高裁の差し戻し理由で枠が出来ていますから、それを超えて判決はできないのが大前提です。
ですから、汲むべき情状がなければ出る判決は決まっています。
今回の弁護方針も「少年性」「殺意が無い」「警察検察に作られた」を中心に情状としたいのでしょう。
ただ、無理矢理なことは誰もがわかっているわけで、「判決が出たあと」が一番の攻防となります。
by 南雲しのぶ (2007-09-20 19:24) 

南雲しのぶ

toyoさん、コメントありがとう。
法律と市民感情が乖離しているということなのでしょうね。
前述したとおり、人が死んでいれば殺人。
情状をくんで減刑するかどうかは裁判官が決めれば良いことなのだと思います。
以前、別の方から「交通事故で誤って死なせてしまっても死刑ですか」と言われましたが、それだけの交通事故であればそうでしょうし、情状をくめるものであれば軽くすれば良いことなのです。
最初から故意か過失かを決めてかかる必要がどこにあるのでしょう。
by 南雲しのぶ (2007-09-20 19:30) 

toyo

[最初から故意か過失かを決めてかかる必要がどこにあるのでしょう。]
ズバリ!そのとおりだと思います。過失であっても「起こしたことの責任」はとるべきだと思います。なんか今の裁判制度は「簡単なこと」をややこしくしているだけ、と単純なわたしは感じます。うれしくなったので又コメントさせてもらいました。
by toyo (2007-09-20 20:50) 

南雲しのぶ

toyoさん、コメントありがとう。
同じ思いの人はきっと沢山いると思いますよ。
過失か故意か、というのは最終的な情状というか事件の背景として判決に影響をもたらすだけで十分だと思うのです。
過失であっても陰惨な事件はありますし、故意であっても止むに止まれずというものがあります。
それを最初から論点にする事自体虚しいだけです。
もう一言いわせていただければ、精神薄弱とか心神耗弱であったからと言って罪に問わないというのもまた理解できない私です。
by 南雲しのぶ (2007-09-20 21:30) 

ブロガー(志望)

お邪魔します。

>「人権派」によって日本の「人権意識」が高まらない。

 いわゆる「人権派」にとって大切なのは「無知蒙昧の輩対
開明的な自分達」という"図式"だからではないでしょうか。
それと欧米の場合は「天賦(天が与えた)人権」というか「キ
リスト教(の神)」が前提にあるのですが(最後の審判には
見落としも冤罪も一切無い?)、「神無き日本」では「人権
派」"自身"が"神"になっているのでは。ヨーロッパでも革命
の際には「粛清」とか「恐怖政治」が行われましたが(革命
の敵は逝ってよし?)。
by ブロガー(志望) (2007-09-21 00:22) 

南雲しのぶ

ブロガー(志望)さん、コメントありがとう。
そこが重要かもしれません。
日本の場合、人権は舶来したもので自らが勝ち得たもので無いために分からないのでしょう。
「神の国」が突然「神無き国」となり自らの拠り所を見失ってしまい、やりたい放題になってしまった、と思います。
「人権派自身が神となっている」
言い得て妙ですね。
by 南雲しのぶ (2007-09-21 06:15) 

こう

やっぱり「人権派」は勘違いして、考えがねじれてまっていると再認識しました。
法律に死刑制度がある限りは、死刑は免れないということを前提にしていなからおかしくなっているんですね。

どう考えようが、首を絞めて殺したのは事実です。他に変えようがありません。

死刑反対なら、何故法律を変えようと努力しないのか?

そういえば、マスコミの取り上げ方も、ねじれの原因ですね。どうなる。この国。
by こう (2007-09-22 22:50) 

南雲しのぶ

こうちゃん、コメントありがとう。
もちろん人権意識高揚のために頑張っていらっしゃる方は沢山います。
しかし、それらは「人権派」ではありません。
「人権派」は法に則った過激派みたいなもので、人の心の隙を突いたような小癪なことばかりをしているに過ぎません。
誰だって「人の命は大切」と思っているのは当然なのに、「死刑に賛成しているのは人間ではない」がごとくのことを言う。
この裁判で真剣に「死刑廃止」を訴えている人たちにどれだけ迷惑がかかっていることか。
by 南雲しのぶ (2007-09-23 07:24) 

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