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危険な運転は危険運転ではないのか2 [飲酒運転撲滅]

危険な運転は危険運転ではないのか


常々私は「法律と日常の乖離」と言っている。
福岡で起きた飲酒運転による幼児3人が死亡した事件でもそれが如実に現れている。

この事件の「事実」とは
「飲酒をしたにも関わらず数時間後に車を運転した」
「追突をしたにも関わらず逃げた」
「救助義務が生じているにも関わらず救助しなかった」
です。
あまり論点を広げると枝葉末節になってしまうので一点に絞ります。

「飲酒をして運転」することが良いことなのですか?
誰しも「良い」などとは答えないでしょう。
危険運転致死傷罪を直接読めば「アルコールの量」などどこにも謳っていないのですよ。
「“アルコール”によって“正常”な運転が“困難”な状態で起こした事故」に適用する法律ですよ。

アルコールが関係なくとも「正常な運転」が出来ていれば事故など起きません。
起きますか?
「事故が起きた」という事実がすでに「運転が困難な状態」だったのです。

そこに「飲酒」が加わればアルコールの影響が無かったとどう判断するのですか?
事故が起きたということで「有ったこと」は証明できても「無かったこと」を証明などできないはずですよ。
ということは「飲んだ上で運転をした時点」でこの法律が適用されるべきなのに、法律家はそれを適用しない。

結局、法律家的に法律を読んでいるに過ぎないのです。
この法律が出来たときの社会的背景は皆さんもご存知のことでしょう。
「酒を飲んで運転して起こした事故には厳罰を処せ」です。
この「事実」にこそ法律家はもっと目を向けるべきです。

もし、そのための法律でないとしたら法律を作る側の人間に問題があるのか、社会が騙されたということになりますが、どちらなのでしょう?
結局、法律を使う側が勝手に都合よく解釈をしているだけはないですか。

「飲酒運転」に酒を飲んだ量(実際はアルコール残量ですが)を判定基準にすること自体が間違いだと社会は感じているのです。
もちろん、事故を起こす前の予防的取り締まりのためであれば基準が存在しなければなりません。
しかし、事故を起こした事実の中でアルコール残量が基準値以下だと運転に影響が出ないと何故言い切れるのですか?
基準値以下でも影響が出たから事故を起こしたのでしょう。
だからこそ、裁判所や弁護団の対応に痛烈な批判が起きているのではありませんか。
法律が出来た社会的背景を無視して法律に直接書いていないことを「法律というのはそういうもの」という解釈を押し付けていると感じている。

もちろん、これまで多くの方と会話を続けさせてもらって、私はなぜ法律家がそういう判断をするのかが徐々にわかって来ました。
しかし、それは法律家たちが社会の意識から乖離していることを示しているにすぎません。

「故意性の裏付けなければ適用できない」と言われますが「酒を飲んで運転する」ということ自体が「故意」だと社会は認識しているのではないでしょうか。
そのような思いの中で「アルコール量が少ないのだから正常な判断は出来ていた」などと言われては納得できるものではありません。

まずは、飲酒して運転したらその時点で危険運転に該当させ、あとは裁判の中で、スピードがそれほど出ていなかったとか酌むべき情状があったなどで刑罰の軽重を判断すれば良いのではないでしょうか。
飲酒は意図的に自らが行える行為ですよ。
「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな」こんなこと今時子どもでも知っている言葉ではありませんか。

そして、それを避ける手段をみな知っているし、編み出している。
この事件だけを見れば、福岡なら運転代行が充実しているでしょう。
事実、被告は運転代行を使った経験がある。
呼ばれたからと言って証拠隠滅に使われてしまった水をすぐに届けてくれる友人だっていたわけだし。
飲酒して運転する理由などどこにもない。
それがなぜできないのでしょう。
意識的にしなかったのに「故意性が確認できない」って。
やはり国民は法律にだまされているのでしょうか?

これまで国民性から飲酒に寛容であったこと、アルコール代謝が人によって異なること、意図せずアルコールが残ってしまう可能性があること、など色々な問題が存在していることは十分にわかります。
しかし、「酒を飲んで運転してはならない」ということをもっと重要なことだと法律家も認識してもらいたいものです。

私は、最高の25年にしろとは言うつもりはありません。
ただ、危険運転致死傷罪で裁くべき事件だと言うだけです。
その中で、残留アルコール量が少なかったからとかスピードが出ていなかったからといって軽い刑罰になっても、それは裁判というものの判断ですから仕方ありません。
そのために一つの罪状でもその刑罰には必ず軽重があるわけですよね。

このままでは「危険な運転は危険運転ではない」ということが根付いてしまい「飲酒運転撲滅」など絶対に出来なくなります。
法律家に聞きたい。
日本は「飲酒運転撲滅」を目指している国ではないのですか。

関連資料

「総務省法令データ提供システム」(刑法)


(危険運転致死傷)
刑法第208条の2
アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。
その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。

「「救助せず後悔…逃げずに償う」 福岡飲酒事故公判」(iza!)

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コメント 11

山中鹿次

たとえば覚醒剤を使用して錯乱しなければ他人に迷惑をかけないが、その可能性が高いから処罰する。飲酒運転も事故の可能性が高く、そういう措置が賢明でしょう
by 山中鹿次 (2007-12-24 10:15) 

南雲しのぶ

山中鹿次さん、コメントありがとう。
そうでうよね。
同じ事件で被告が酒ではなく覚せい剤を使っていたらどうだったでしょう。
「使ってから時間も経っていて、量も少なかった」なんて言うのが通用したのでしょうか。
使ったという事実だけで「危険運転」が適用されたのではないでしょうか。

ただ、みなさんあまり気にしていませんが薬物の中には風邪薬などでも入るということなんですよね。
人によってはこっちで該当してしまう可能性すらあるってことですよね。

法律は法律家のためにあるものではないはずなのですが。
by 南雲しのぶ (2007-12-24 12:21) 

kenji47

危険運転致死傷罪という法律自体はおかしくないと思いますよ。

南雲さんの求めるような処罰を実現するには、

「飲酒して自動車を運転し事故を起こし人を死傷させたら懲役~年にする」

という無過失責任を定める法律を作るしかありません。
危険運転致死傷罪は、
「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ」
という危険行為を要件とするのですから、その要件を満たさなければ適用されないのは当然です。


それに、無過失責任を処罰する法律を作ったとしても、
「酒を飲んで運転してはならない」
という点を重視して、
酒気帯びにしか当たらないアルコール摂取量の者や、
酒気帯びにすら当たらない者に対しても被害の大きさという結果だけを重視して処罰することは過酷すぎるのではないでしょうか?
アルコールに弱い人は、洋菓子や奈良漬けを食べる程度でも酒気帯びの基準に該当してしまう場合があるそうですが、それはどう考えますか?
by kenji47 (2007-12-24 22:04) 

kenji47

>アルコールが関係なくとも「正常な運転」が出来ていれば事故など起きません。
起きますか?
「事故が起きた」という事実がすでに「運転が困難な状態」だったのです。

アルコール摂取の有無に関わらず事故は起こりえます。
>「事故が起きた」という事実がすでに「運転が困難な状態」だったのです。
これは暴論ですね。

たとえば、夜間に時速60㎞/hで自動車を走行中、10m前の走行車線の真ん中にいきなり人が飛び出したという例を想定してみると、
この場合、アルコール摂取の有無に関わらず事故を避けることはできません。
福岡の事件とは事例が違うじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、
その事例がどの程度違うのかという点を考えるためにも、どのような「事実」が存在したかが重要なのです。
by kenji47 (2007-12-24 22:10) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
「無過責任を求める法律」
そこなんですよ。
記事中でも書きましたが、この法律ができた切っ掛けや国民世論はどこにありますか?
「飲酒運転即アウト」でしょう。
ここを確認したいのです。
違いますか。

それが違う法律が作られていたということでは法律家を信ずる気持ちなど無くなってしまうのでしょう。

「「酒を飲んで運転してはならない」
という点を重視して、(中略)過酷すぎるのではないでしょうか?」
kenji47さんのお言葉とはとても思えません。
アルコール摂取量が少なければ良いと言うのですか?
起こした事故に影響がなかったってどう証明するのですか。

後段も含めて、仰りたいことは十分にわかります。
「突然飛出して来たら」
でも、前方不注意ですよね。
相手が「当たり屋行為」で突っ込んだことでも証明しない限り。
まして、アルコールが入っていなければ避けられた可能性は捨て切れない。
それは個別の事実で判断すべきです。

また、晩酌して翌朝運転しても「残っている」可能性は捨てきれません。
私はアルコールチェッカーを持っているのですが、数値がゼロでないことも時々あります。
飲酒後6時間程度では起こりうることです。
なので、私は運転するであろう時間より7時間前には飲み終えます。
なので運転時には「ゼロ」となっています。

ここまでこの事件を糾弾するのは、そこまでしている人間が居るのだということを前提にしていないからです。
「そこまでなんて出来ないよ」では飲酒運転は絶対に撲滅できません。
しかし、私は避けられる事故は避けたいという一念からここまで言っています。

それでも、思わぬものにアルコールが含まれているものがあり、摂取してから「しまった」と思う事もあります。
しかし、それで事故を起こしたなら司法の判断に身を委ねるしかありません。

それから記事でも書きましたが、刑罰の軽重をどうこう言うつもりはありません。
厳しくすべきとは思いますが。
一番大切なのは「結果として危険な運転をしたのだから危険運転で裁いて欲しい」と願っているのです。
by 南雲しのぶ (2007-12-25 07:21) 

kenji47

>それが違う法律が作られていたということでは法律家を信ずる気持ちなど無くなってしまうのでしょう。

法律制定過程を思い返したほうがいいと思いますよ。
今までどれほど悪質な飲酒運転による事故であっても業務上過失致死罪でしか処分できないことを問題視して危険運転致死傷罪が作られたんですよね?
その過程を考えれば、悪質な飲酒運転に限定して作られたものだということが理解できるのではないでしょうか?
それに「法律家を信ずる気持ち」と言いますが、法律を作ったのは国会ですよ。
法案を作ったのは法務省ですけれど、その法案を通過させたのは国会です。
自分たちの選んだ国会議員の先生方がこの法律を作ったのだからそちらに文句を言うべきでしょうね。
それに国会議員を選んだのは国民自身なのですから、結局自分自身の責任なのではないですか?
司法は具体的事件に厳格に法律を適用する役割ですから、法律の内容について司法を批判するのはお門違いです。


>アルコール摂取量が少なければ良いと言うのですか?
起こした事故に影響がなかったってどう証明するのですか。

起こした事故に影響があったことを証明するのは検察の役割だということはすでに述べたとおりです。
他の犯罪では因果関係を証明するのは検察の責任なのに、飲酒の影響についてだけ何故被告人のほうがそれがないことを証明しなければならないのですか?
まったく整合的な説明ができません。
そんなことを言ったら、交通事故で人を死なせた場合、
「殺意がないことを証明しろ、証明できなければ殺人事件だ」
ということになってしまいます。
それに、ある事実が存在しないことを証明することは「悪魔の証明」と呼ばれることはご存知ですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E
ある事実が存在しないことを証明するためには、論理的に言えばあらゆるすべての可能性を指摘し証明しなければなりません。
これは現実的には不可能を強いることになります。
それに対して「ある事実が存在すること」を証明するのは、ただ一つの事実が存在することを指摘し証明すればよいので遥かに容易です。
それゆえ、証明責任の分担は「ある事実が存在すること」を証明する側にあるのが原則とされているのです。
by kenji47 (2007-12-26 22:01) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
法律制定過程を思い返せば返すほど「飲酒運転全般」にかけているのだと思うのですが。
それは切っ掛けになった「東名用賀事件」の被害者遺族のコメントでもわかるのではないでしょうか。
それがいつの間にか「故意性」ばかりが強調されるようになっています。

「法律家を信ずる気持ち」への反応も「法曹人のおごり」があるのではないでしょうか。
立法する人(国会議員)だって広義で言えば法律家でしょう。
それと、自分たちが選んだ人たちがこの程度の法律しか作れないから私自身の不甲斐なさを嘆いているのです。

後段ですが、検察が証明しなければならないというのはわかっていますよ。
でも、話しは「証拠隠滅」した被告の責任を問うている部分からのコメントですから。
「証拠隠滅した方が得」というようなことで有って良いのかなんですよ。
それについて話しをしていたと思うのですが。

それと「アルコール量が最初から低かったこと」を証明してもらいたいとも言っているのです。
「水飲んだから低くなったわけではない」と言っていることをどう弁護側は証明したのでしょう。

それと何度も聞いて恐縮ですが
kenji47さんは「飲酒をして運転することを認める」のですか?
もう少し細かく言えば「飲酒後1時間内に運転すること」でも良いですけど。
この被告は、確か最後の飲酒から1時間内に運転を始めていたんですよね。
by 南雲しのぶ (2007-12-26 22:33) 

HOKUTEN

洋菓子などで意図せずアルコール分を摂取してしまった事も含めて、アルコール残量と言う文言が出てきているのでしょうけど、飲酒が証明された時点で、「故意」ではないですか?
気が付いたら飲んだのでしょうか?
飲んだのを知らなかったのでしょうか?(本人が?(  ̄- ̄))
「飲酒」による「運転」は、「故意」でしか起きません。
十分「危険運転」「危険行為」だと思いますが・・・。
しかも、「本人が自覚している」「危険行為」ですよね。
そこになんでアルコールの量とか他の要素が入るのかが、理解できません。
「飲酒による危険運転」は、「確信的に起こした自発的犯罪」だと思いますけどね。
なので、南雲さん同様、危険運転致死傷の範囲内での量刑をと思っています。
by HOKUTEN (2007-12-27 02:55) 

南雲しのぶ

テレマーカーさん、コメントありがとう。
そうなんですよね。
自分が意図しないで飲まされるケースってどのくらいあるのでしょう。
意図して飲んで意図して運転したのであればその時点で「故意」だというようにしないと無くすることはできません。

結局、お菓子や薬用酒での摂取はどうするのかとか相当時間経過しても残ってしまった場合どうするのか、というような点での保護というか免責のために「故意性」を立証されるようになっているのでしょう。

それも大切なことなのですが、本来範囲に入るべきものを逃す手段になってしまっているように思えてなりません。
「飲んだら乗るな。飲むなら乗るな」です。
これ以上、何が言えましょうか。
by 南雲しのぶ (2007-12-27 06:27) 

kenji47

>立法する人(国会議員)だって広義で言えば法律家でしょう。

一般的には、国会議員は「法律家」とは言いませんね。
law makerとは言われますが。
「法律家」というと、普通は大学などの法律学研究者か、弁護士等の法律実務家を指すと思われます。


>kenji47さんは「飲酒をして運転することを認める」のですか?
もう少し細かく言えば「飲酒後1時間内に運転すること」でも良いですけど。

飲酒して運転したならば、酒気帯び運転や酒酔い運転という形式犯として処罰されるではありませんか?
これはそうした事実があることだけが要件で処罰される犯罪形態です。
飲酒1時間以内に運転することも一般的にはそりゃ駄目ですよ。
でも、それがすなわち危険運転致死傷罪の要件に該当するわけではありません。
「正常な運転ができない状態」
という不確定概念による要件は曖昧ではありますが、それだからこそ裁判所がいかなる場合がその状態に該当するかの基準を裁判例という形で明らかにしていく必要があると思います。
by kenji47 (2007-12-28 21:54) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
「一般的」ですか。
極めて非科学的な何の論拠も無い答えですね。
あ、嫌味で言っているわけではありません。
これまでのkenji47さんの確信的な発言とは思えないだけです。
それと、私は、法律というのは出来てからが法律ではなく、出来る過程も含めて法律であって立法者である議員も法律家であると考えています。
今の法曹界の人たちは、法律を司る者だけが「法律家」であり、その過程などなんの意味をも持たないと無視し過ぎているのではないかと危惧しています。
まぁ、その辺は「法律家」に法的根拠のない話しですから、どちらでも良い事ですが。

さて、後段ですが、形式犯として処罰される形態ですか。
まぁ、良いでしょう。
ではお聞きします。
なぜ、「飲酒1時間以内に運転することも一般的にはそりゃ駄目ですよ」なのですか?
一般的というのはkenji47さんの是非ではないのでしょうか?
この2点について。
by 南雲しのぶ (2007-12-29 07:09) 

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