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えせ同和行為が増えています [人権・差別・逆差別]

「えせ同和行為」という言葉をご存知だろうか。
「同和(問題)」の名を語って公共工事や事業所などへ不法な圧力をかけ金銭等を搾取するという昔からある暴力行為なのだ。

宮崎県の05年の調査で16.5%もの事業者が「被害を受けた」と回答している。
被害を受けた業種は卸売業やホテル・旅館業、金融業が多くともに20%を超えた。
卸売業は中間マージンが取りやすい業態であり、ホテル・旅館業も労働条件が劣悪でつけ込みやすい、金融業に至っては言わずもがなか。

手口は、と言えば人権に絡む差別事象を口実に事業所を訪れ、「差別事象を反省するためにもこの本を買って勉強しろ」とか「このような事象を解消させる運動をしている我が団体へ寄付せよ」とか「このような環境が起こるもの差別を受ける者に仕事がないからだ、下請けでウチの会社を入れろ」とかが主なものだ。

だいたい、こういう事が起こるのは、これらに関係する人権団体が同じ事をやっているからではないのか。
もらったことのある人は少ないかも知れないが「人権週間」などに啓発物として配られるもののほとんどがこれら団体の関連企業が作っているものなのだ。それも今やはやりの「随意契約」で結ばれ、普通に買うよりも高い価格が設定されているのが通常だ。

まぁ、事例をあげれば数限りなくなるのでこの辺にしておくが、人権団体が作り出している「えせ同和行為」。これを無くすのは人権団体が「関連企業は今後一切、公共事業に参入しません」「同和問題をネタとして一切の営業行為を行いません」と言うだけのことではないのか。言うだけでなく実践しなければ意味はないが。
これほど簡単に解決する問題なのに解決しないのは、それだけ各所で人権団体による「えせ同和行為」が行われている事に他ならない。

だいたい、人権団体が言う差別事象を主要メディアが取り上げた事がないことにお気づきだろうか。
みなさんとて「そんなに差別事象が起きているの?」と思うはずだ。重箱の隅をつつくようにしてつけ込んで来ては、差別した人(及びその関係者)と団体だけで「解決」させてしまうからだ。
良く知られたところではTBSテレビのニュース23のアンカーマン筑紫哲也が、差別(と思われる)用語を使ったとして団体から糾弾された精神破壊をさせられたことだろうか。それ以降、彼のコメントに切れがなくなり「凡人」と揶揄されるまで転落したことだろうか。今でも何か一言の時の彼の泳いだようなオドオドとした目をみれば良くわかると思うが。

「同和(問題)は怖い」のだ。そう思わせている人権団体などいらない。
こういう記事を書くこと自体、どこぞから恫喝があるかも知れないという恐怖心がある。そう思わせていることも問題と言えるのではないのか。


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コメント 11

差別の実態を知らずに差説を語るのはあまりに危険なのではないですか。
「えせ同和」をする者を責めるのではなく、その原因を被差別者に向けるのは
本末転倒ではないか。日本のメディアが、ほとんど報道しないからといって、差別事象がないということにはならない。「2チャンネル」でもご覧になれば、吐き気をもよおすくらいの差別が溢れていたのに気づかれるのではないか。
「怖い」と思わせているのは、あやふやな情報である。「~らしい」「~だそうだ」、伝聞調のうわさ話が事実として独り歩きしてしてしまう。
タモリも番組中に「○○地域は、怖い」など差別発言をし、部落解放同盟から抗議を受けたが、今も元気に「いいとも」をやっている。確かに30年ほど前には激しい「糾弾」を受けた方もいたのは事実である。だが、団体としてはすでに個人を攻撃するだけのやり方は放棄している。差別問題を共に考えていこうというスタンスなのだ。過去のイメージを利用し、自己の利益を得ようとするのが「えせ」行為なのではないか。
なぜ「怖い」と思うのか。それは実態を知らないからである。
「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」
by (2006-03-27 07:35) 

山中鹿次

それと組織の中の個人に問題がある人と、その組織が全部だめとしては行けない。かなり問題は解消されたり、逆差別的部分もあるが、麻生外務大臣が以前に野中元幹事長が総裁選に出るかどうか、取りざたされた頃「あの人は被差別だから」という理由で批判したそうです。政策や人柄全体ならともかく、そういう理由をあげる人がまだまだ多いし、結婚差別など減っていない。
 ですから「えせ行為」少数の急進的な人や利権者がいることで、批判だけを一人歩きさせない方がいい。大谷宏明さんのように両方の問題点を提示しながら、でも差別解消には協力すべき、私はしたいです。
by 山中鹿次 (2006-03-27 09:31) 

南雲しのぶ

山中鹿次さん、コメントありがとう。
麻生氏の発言は日本の政治家のレベルの低さと麻生家自体の問題でもあるでしょう。この人は他にも妄言を吐いていますから無意識の差別主義者なのでしょう。
それと、人権団体の中にも正直に一生懸命、熱心に活動されている方がいらっしゃることも存じ上げていますよ。
なぜ私がこういうことを書いているのかと言えば、何年か前に人権団体が企業向け研修会を行った際に、受講者の態度が悪いと怒ってマイクを床に投げつけ壊した場面をみたことがあるんです。すぐに関係者には暗黙の箝口令が敷かれましたから公にはなっていませんがね。
詳細を語ると差し障りがありますので語りませんが、こういう人の行動を見ていると団体が暴力的な糾弾を止めましたなんてことをとても信じられませんよ。
もちろん、差別する側が一番問題ではありますが、団体の側が以前に行っていたことを猛省せすこういうことをしていては、えせ同和行為は無くならないと私は思っています。
こう言う記事を書くと一部に「何も知らないくせに」と言う人が必ずいますが、そう言う人に限って人権団体の公式見解的なコメントばかり。知らないのに「怖い」と思わせているのは何故なのか、考えるべきだとは思いますが。
山中さんの仰るように、両方の問題点を提示しながらというというごお考えには頭の下がる思いです。
by 南雲しのぶ (2006-03-27 12:33) 

人権団体などと書かずに、解放同盟なり融和会なりはっきり書けばいいのではないですか。提示されているような事例があるならば、抗議するなり、その問題点をその団体に指摘すればよいではないですか。そういうことをせずに、

>こういう記事を書くこと自体、どこぞから恫喝があるかも知れないという恐怖心がある。そう思わせていることも問題と言えるのではないのか。

こう書くことが、実態を知らない人に、いらぬ恐怖心を植え付けているのではないでしょうか。昔、田原総一朗氏が部落差別をテレビで取り上げたときのやり方と一緒ではないですか。
by (2006-03-27 20:14) 

あまちゃん

知人の勤めている会社では、年に一度、同和問題についての講演会があります。この講演会にはお金を払っています。何十年も前の採用の問題でつけこまれたらしいです。
 ただ、日本の西側のほうでは部落差別があるところの土地の値段は安いです。自分の会社で土地を購入する時に聞きました。
関東より西側に差別が多いらしいので、自分が知ったのは会社に入ってからです。
差別問題は難しいですね。
by あまちゃん (2006-03-27 23:27) 

南雲しのぶ

あまちゃん、コメントありがとう。
こういう記事を書くとなかなかコメントをいただき難いので嬉しいです。
ウチの職場でやる講演会の講師謝金、ほかの研修のより高いんですよ。まして全員出席になっているから複数回やらないと駄目で総額だとね。
こういう時に何かあったからって、その時に団体へ指摘したり、上司へ改善を求めたりしたら大変ですよ、辞めることを考えないと。だからこういう匿名性のあるところで書かざるを得なくなるのに、外の人はその辺がわからないのがこの問題の根深さでもあると思うんですよ。
人の心の中に根付いた差別意識はなかなか拭えません。行政や人権団体が行っている啓発だけでは足りないんですけどね。こう言う問題を普通に語れるようにならないと難しいでしょう。
なのに「こういう言い方して良いかな」とか「こんなこと書いて突っ込まれたくない」なんて思いながらでないと書けないって変ですよ。
何か言うと「知らないくせに何を言う」って言われたら誰も何も言わないし、心の中で「怖い」と思われても仕方ないと思うのですがね。
by 南雲しのぶ (2006-03-28 07:24) 

山中鹿次

差別には制度的差別と社会的差別があり、制度的差別がほぼ解消された一方で、社会的差別ではその職業に就いて収入が低いとかいうことはない。だが蔑視されたり、採用が能力と無関係に面接で親の職業ではねのける場合がある。これは社会的差別で男女機会均等法は戦前の慣習がまだ残っているから、制度的に憲法で男女差別はないはずでも、別個必要になる。
 それと行き過ぎた糾弾が問題視される。だが一方で西部進さんが以前朝生で差別問題で語ったこととして、そうしないと本気で怒った気にならない側面もある。だが糾弾により「恐い」という逆効果も当然でる。
 一番いいのが、第三者の意見である。これがなかなか出ないのですが大阪で、被差別部落に、一般の方で嫁いだ方から見た提言など述べているケースが毎日新聞に紹介されていたことがありました。気の毒論でもなく、2ちゃんねるや同和利権の真相という本のように、その点は問題点ではあるが、差別解消の視点が欠落しているものではなく、上記の比較的両方の視点で物がいえる方の意見、マスコミがもっと紹介すべきでしょう。
by 山中鹿次 (2006-03-28 13:32) 

南雲しのぶ

山中鹿次さん、コメントありがとう。
山中さんの仰るとおり、社会資本の整備などで「地域」と言われる場所の改善は進みました。もう解決したと言っても良い状態に近づいているでしょう。
暴力的糾弾が行われていたということは事実なのにそれを認めようとしない団体の対応はいただけない気持ちで一杯です。
と言うより、差別解消が「怒り」によってしかなされないと考えるのかというのが不思議でなりません。暴力的糾弾も「怒りこそが真実の差別解消につながる」という大義名分によってなされていたものです。なぜ「怒り」なのか、怒りでは何も解決しないのに。
それと、一般の人と結婚したという人のことを仰っていますが、彼らが自分たちの子どものことを「ダブるっち」と呼んでいるのです。彼らに言わせれば二つの異なったものの両方を持ち合わせているということらしいのだが、なぜ二つの異なるものなのか。最初っから異なっていると自分たちで認めているのではないか、と思えてならないですよ。
マスコミがもっと取り上げることには賛成ですが、多分無理でしょう。たった一言の失言をもって糾弾する団体がある以上、余計なことには触れたく無いと思うのは。筑紫哲也が良い例ですよ。
by 南雲しのぶ (2006-03-28 14:05) 

山中鹿次

この件はこれで終わりますが、東京のマスコミはよくわからないが、こわがるがKBS京都とか、そういう地域の街づくりなんかをどうする京都という番組で、日曜夜8時から2時間番組で、いろんな意見の方が取り上げ、不祥事とか行き過ぎのことも話が出るし、やっぱり地域の事情に精通して、的確な判断が必要なんでしょう。また産業的に地場産業に従事している親の世代と、子の世代でも変わるので「ダブルッチ」のようなことは、段階的には無くなるでしょう。前の世代の事は前の世代の7がけで残り、2~3割ずつは消えるので、後二世代するとほぼ消えるのでしょうが。
by 山中鹿次 (2006-03-28 17:25) 

南雲しのぶ

山中鹿次さん、コメントありがとう。
京都ではそういう番組があるんですか、知りませんでした。関東では上辺だけというか啓発の枠を超えられないような内容ばかりです。
こういう話題が日常会話として行えるようになると良いのですが、一部の先鋭的な人によって腹を割った対話は難しくなっています。もったいないものです。
誰だって「知りもしないくせに」などといわれたら会話になりませんよ。まぁ、そう言う人とは対話などする気にはなりませんが。
ただ、「ダブルッチ」の件は無くならないでしょうね。次なる言葉が出て来て差別を残してしまう。差別されていると言っている側がこう言う意識でいることが差別を助長していることに早く気づいて欲しいものです。
そうそう、端緒が悪かったせいかこの記事の本旨である「えせ同和」が霞んでしまいました。またえせ人権派はそうやって覆い隠すしかなかったのでしょうがね。
by 南雲しのぶ (2006-03-28 18:50) 

差別の実態をみて言うべき所を、上辺だけとらえて、「えせ同和」の横行は部落解放同盟のせいだとする論理の展開が理解できない。むしろ、こういう趣旨の記事から「同和は怖い」がすり込まれ、差別を助長しているのではないか。筑紫哲也氏がどうこう言ってるが、一例だけで全てそうなのか。そもそも、彼の言説が切れをかいてると映るのは本当に「糾弾」が原因なのか?
普通に語ることが大事だといいながら、指摘をすることも慮られると言う。その原因は解放同盟にだけあるのか?もちろん、解放同盟にも誤りはあるだろう。被差別部落出身者が全て良い人なわけではない。ごく普通にいい人も悪い人もいる。なかには差別する人だっている。それでも、「えせ」行為は解放同盟のせいだとするのは違うのではないか。形だけの同和研修・形だけの差別否定・そして差別の実態をみようとしないメディアや社会。そして、無責任な噂による新たな差別の流布。
自分だって最初に被差別部落に行ったときは怖かった。ドキドキした。学校や職場で差別はいけないと頭でわかっていても、いざその場になるとやはり怖かった。でも、そこにいたのは普通の人たちだった。泣き笑い怒る同じ人々だった。ただ違うのは差別された経験。そして、考えた。なぜ怖かったのかと。それが差別意識なのだと思った。そう思いついたのは、簡単ではなかったけれど、被差別部落に住む赤ちゃんが怖いのか?おじいちゃんやおばあちゃんが怖いのか?考えていった。怖いと思うのは、自分自身なのだ。思わせられているのではない、自分でそう思っているのだ。その壁を自分で破らない限り、「えせ」行為につけ込まれるだろう。結局、「えせ」行為の餌食になっているのは、「事なかれ主義」の行政機関や企業だ。自分で考えることをせずに、ただ「怖い」だけで止まっている人々だ。おかしいことはおかしいと言わなければならない。そうでなければ、差別をなくしていくことなどできないではないか。
by (2006-03-28 23:45) 

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