富山県射水市の病院で起きた延命措置中止問題。
病院長が市議会に経過報告を行ったのだが、事実事項と騒動の謝罪に過ぎず大きな進展は無かった。
- 環境・災害・健康
この問題は「人の死」について考えさせられるものだ。
末期で回復が見込めない者に対してどこまでケアしていくのか。生きる事死ぬ事、尊厳を持った生き方を求めることの難しさを禁じ得ない。
それは良いのだが、先ほどこの問題に関係する「同意していない」と言っていた遺族が「同意をしていた」とのこれまでのコメントを覆す内容のコメントを出したのだ。
他に疑われている6例でも多分「同意」をし、外科医側も公にならないようにしていたのだろう。
だいたい、今の日本で同意していたことが知れたら近隣から「親殺し」の口汚い罵りが起きていただろう。
いや、こうやって知れてしまったことで「あそこの家族は親の死を望んでいた」と必ず言われる。
噂話ほど恐ろしいものはないのだ。
それにこれまで付き合いの無かったような親戚からも同様のプレッシャーがあるだろう。
情けない限りだ。
この事件では多くの人が被害者になってしまった。
張本人の外科医、病院、そして遺族だ。
報道に対してはもう少し自重はできないものなのだろうか。
遺族の同意が推定される時には遺族への取材は行うべきではなかったのではないか。
誰の人権を守るべきか。報道はもう少し考えるべきだ。