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当然の反応だろう [教育・生涯学習]

「【神田高校問題】「校長先生を戻して」「服装で合否、正しい」保護者や生徒が嘆願書」話題!‐教育ニュース:イザ!
神奈川県立神田高校で校長が主導して入学試験の際に「見た目」を判定基準にしていたため更迭された事件。
「辞めさせないで」「戻して」「処分しないで」という声が高まり署名運動にまで発展しているのだそうだ。

私は、この反応は当然のことだと思える。
確かに校長のしたことは「騙し討ち」ととらえられても仕方がないことだし、判定の基準も明確ではない。
しかし、「ウチは服装チェックもしますよ」なんて事前に言ったら判定する意味がない。
学力や面接というものは「訓練」を積むことで十分に力をつけられる。
ところが日常の姿を見られるとなるとなかなか一朝一夕には変えられない。
まして、何を基準にされているかわからないということも全ての面でキチンとしていなければならない。

もちろん、判定する側には明確な判定基準が必要だ。
今年度はこの部分を見るということを事前に決めておく必要があり、かつ全員が同じ判定基準で判断しなけれならない。

例えばどうだろうか。
今年はこの部分を見ると事前に決めておき、入試担当者には伝えておく。
それを囲碁の封じ手のようにして封詰めして金庫にしまっておく。
合否決定の際に第三者立会の場で開封しキチンと判定できているか、決定と異なる判定をしていないか、などを承認してもらう。
そうすれば、途中での改ざんはもちろん不公正な判定もできなくなる。

受験生への配慮として募集要項の中には「どのような生徒を求めているのか」という形で表現しておけば、学校を選択しやすくなるであろう。

これまでの入試は一発勝負的な側面が強すぎて、テストや面接さえ優秀であれば日常的な人柄を判断されることがなかった。
受験票提出時や入試一日の姿を通して人柄を見ると言うことも、テストや面接に弱い受験生を救うことができるのではないだろうか。
私など、テストも面接も弱い人間なので、かえってありがたいのだが。

「外見で判断するな」と言う人もいるが、外見は内心の発露であって、外見と内心はそれほどかけ離れるわけがない。
茶髪金髪に染めるような者はそれなりの内心なのだ。
学校側が欲しくないというのであれば除外してしかるべきだろう。
学生側の売り手市場と言われているが、厳しく選抜することで希望者は増えてくるだろう。

選択肢を狭めればそれだけ明確な教育が行える。
これは単に教員の負担を減らすということではなく、生徒側の教育へも反映できる。
これこそ停滞した学校教育を再生させる一つの手段となろう。
今こそ、根本を改める時だ。


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へのへのもへじ

お邪魔致します。


隠れて間引くという行為は許されるべきものではないものと考えます。

また安易な対処療法ではなく、もっと基本的な事から世の中を変えて行くという考えが必要であると考えます。

何故その様な生徒達がいるのか、その事から考える必要はありませんでしょうか。

校長に賛同する人達の考えは、隣りの庭や公園が汚れていても構わないが、自分の家の周りだけはきれいにしておきたいという考え方にあり、言葉は悪いですが、ゴミは他所に持って行けばいいというような考えではないのでしょうか。

結局ゴミ扱いにされた生徒達は何所に捨てられるのでしょうか?

校長のとった手段は余りにも安易であり、エゴそのものと云えるものと考える事と、その様なエゴが増えて来た事こそが、その様な生徒達を生み出す原因ではないのでしょうか。




お邪魔致しました。


by へのへのもへじ (2008-11-17 12:24) 

ちゃんちゃん

 僕自身は、基準と違う部分で合否判定したのと、それは許容したとしても、願書提出時にチェックされていた人に対しては、受験も断るべきだったと思ってます。 外見等で×でも、凄く成績良かったら合格になるので有ればあまり聞いて気持ちよくない話ですしね。

 でもまあ、僕もクビにするほどの話だとは思っていません。
 大体、受験に行くならばそういう当たり前の部分(外見は特に)もせめてその時だけでも修正して行くのがまともな人間の心構えだと思ってますので、南雲さんのおっしゃることも理解できます。

> 茶髪金髪に染めるような者はそれなりの内心なのだ

 ここまで言うのはどうかとは思いますが、少なくとも受験の際など必要な時には普通の風貌に戻すのが当然だと思います。

by ちゃんちゃん (2008-11-17 12:41) 

南雲しのぶ

へのへのもへじさん、コメントありがとう。
記事上、私の立場が明確で無かったかも知れませんが、「だまし討ち」と取られても仕方がない、と思っています。

「隣りの庭や・・・」ですが、こう考えてみてはどうでしょうか。
今、隣の庭や公園ご汚れてしまっているが、自分の庭を日々綺麗にしていれば、きっと隣の庭も公園も綺麗になって行くと。
一人一人の出来ることは小さな事ですが、自分の守備範囲を綺麗にすることは出来る。
それを見た人たちが「自分も」と考えてくれれば大きな波になって行くのではないでしょうか。
もちろん、そのためには「自分のゴミを他所に持って行く」というのではなく、「自分で処分する」ことでなければなりません。
今回、署名を集めている人たちはそういう気持ちでやっているのだと私は感じています。

校長のとった手段は日ごろ多くの人が秘かに思っていることなのではないでしょうか。
校長は学校経営の最高責任者です。
合否の決定権をもっと持たせても良いのだと思いませんか。
エゴを持たせないという考えこそ、現代日本の閉塞性につながっていると私は感じています。
もちろん、本文中にも書きましたように事前に十分な判断基準と試験官全員での意思統一は必要だとは思います。

神田高校のような学校が増えて行けば、おっしゃられるような「ゴミ扱いされるような生徒」は減ると思いますが。
by 南雲しのぶ (2008-11-17 13:21) 

南雲しのぶ

ちゃんちゃんさん、コメントありがとう。
多分、外見で点数が悪くとも全ての人を落としたわけではないと思いますよ。
報道で「合格点に達していたが」と言われていますが、当落線上だったのではないでしょうか。
「どちらを取るか」と言う判断の中で「外見」での差で選んだのでしょう。
もちろん、この辺は報道では伝えられていませんので分りませんが。

若くして髪を染めていても素晴らしい人はもちろん居ますが、そうでない人の方が大多数であることは確実です。
自分が出来ていないうちに外見だけに拘り過ぎているということでしょう。

それから、何事でもそうですが年長者のすることを若者は真似る傾向にありますから高校生がそうすれば小中学生に影響がでるのは必定。
この辺も併せて考えていかないとならないと私は思います。
by 南雲しのぶ (2008-11-17 13:40) 

ちゃんちゃん

 南雲さん、返信ありがとうございます。

> 今、隣の庭や公園ご汚れてしまっているが、自分の庭を日々綺麗にしていれば、きっと隣の庭も公園も綺麗になって行くと

 僕はそう思います。

> 何事でもそうですが年長者のすることを若者は真似る傾向にありますから

 というか、最近は親が子供の髪を染めたりしていますからねえ・・・
 僕には理解できません。
 白髪の増えて来た我が嫁でさえ、一切染めてませんよ。 そろそろ染めた方が良いかもしれませんが(苦笑)
 あ、僕は真っ黒ですよ。 随分と白髪増えましたけど。

by ちゃんちゃん (2008-11-17 18:22) 

へのへのもへじ

お邪魔致します。

しつこくて申し訳ございませんが、もう少々述べさせて戴きます。

私が校長のあり方を対処方法と述べるのには、今日の社会は戦後から大きく変化し、複雑でありながら巨大化した社会になっている事にあります。

我々はその様な社会の中で、過去より続いて来た慣習に従って生きて参りましたが、しかしその慣習のあり方が現在の社会の中では噛み合ず、様々に不都合が生じていたり、既に形骸化している面が多々あるのではないのでしょうか。

例えば今日の夫婦のあり方は、既に共稼ぎが当たり前となっておりますので、過去の様に明確に家庭教育を行なうことが、難しくなっているものと考えます。

また既にその様な事は一巡しており、明確に躾をされなかった人達が、今日親となっている場合も多くあるものと考えます。

そのため結果に対して異を唱えても、その原因となる事に目を向けなければ、解決は難しいのではないのでしょうか。

放って置けば不揃いな果実はどんどん生まれて来るものと考えますが、その果実を不揃いのまま社会に放り出してしまう事は、果して良いのでしょうか。

目の前にある矛盾に目を背けてしまうというあり方は、やはりエゴではないのでしょうか。



お邪魔致しました。



by へのへのもへじ (2008-11-17 18:42) 

南雲しのぶ

ちゃんちゃんさん、コメントありがとう。
親が率先するというのは同感です。
まして、子どもをペットか玩具のような扱いをするというのはどうかと思います。
名前一つにしても有名な「悪魔君」からアニメのような名前を付ける親はワンさかといます。
これを権利と言ってしまうことに恐怖を覚えます。
by 南雲しのぶ (2008-11-17 19:28) 

南雲しのぶ

へのへのもへじさん、コメントありがとう。
私はこのブログを通じて、核家族(個人主義)から大家族へ、24時間生活から日が昇ったら起き日が沈んだら休む生活へ、ということを常々主張してきました。
今回の記事でもそれを踏まえた上でのものです。

例えば、共稼ぎだから家庭教育が出来ないのなら共稼ぎをしなくとも済むような社会を作るべきだ、と考えるということです。

放っておくと不揃いになるのであれば放っておかねば良いと思うのです。
放って置くのは、家庭教育も学校教育も限界を超えていて「放って置かねばならない」状況なのだから、放らずに済むようなシステムに戻せば良い、と言うことです。

この校長や署名を集めている人たちは矛盾に目を背けているのではなく、自分たちで解消したいと思っているのだと感じます。
前コメントでも書きましたが、その辺のところを突っ込んで報道しているメディアが無いのが残念です。
ただ、実際に学校の雰囲気が良くなり途中退学が減っている、それを生徒や保護者が喜んでいるという事実に現れているのではないでしょうか。

外見を無視する(選抜の対象にしない)方が対処療法であり目を背けていると私は思います。
これは意見の分かれるところでしょうが。
by 南雲しのぶ (2008-11-17 19:46) 

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