拡張型心筋症で移植手術を受けねばならない小学女児が海外での移植に望みをかけて寄付を募っていたが、16日に亡くなったという話題だ。
亡くなられた女児のご冥福とご遺族関係者の皆さんに哀悼の意を表したい。
しかし、
私はこういったことで寄付を募るのは止めるべきだと訴えている。
一つの命を救いたい、という気持は痛いほどわかる。
死なせて良いと言うつもりも無い。
しかし、特定の人へ寄付を募るような内容なのだろうか、と常に疑問を感じている。
寄付を募れる子どもだけが助かる確率が高まる。
要するに親の力によって同じ病気であっても助かる助からないが変わって来るということだ。
果たしてそれが公平なのだろうか。
それだけではない。
先例では、剰余金を私的に流用したり、両親は一銭も出さずに済んだケースがあったり、決算報告がなされなかったり、ということもあった。
他にも、剰余金が出たからと言って別の同じ疾病で苦しんでいる子どもの募金団体へ寄付したということもあった。
申し訳無いがこれは本末転倒なことだ。
特定の子どものために集めた募金を他の子どもの募金に転用するなど権利の濫用でしかない。
募金を集めるというのはそれほど難しいことなのだ。
私は特定疾病に対しては全国的に全ての対象者の為の寄付を受け付ける窓口を設けるべきだと考える。
特定の子どもの生き死にをかけた募金などは決して認めてはならない。
そして、このような募金をしなければならないというのは小児が国内で移植できないということに問題があるのだ。
厳密に言えば先日、A案と呼ばれる臓器移植法の改正法案が成立した。
施行はされていないので今回の話題とは当てはまらないのだが、仮に施行されていたとしても現実的には出来ないような仕組みになっており、今後も海外移植を望む人はそれほど減る事は無いだろう。
結局、国会議員の中に当事者が居る薬害肝炎の問題はドンドンと患者にとって良い方向に進むが、居ないと遅々として進まないということを示している。
ちょっと脇道にそれてしまったが、疾病別にすべきか小児疾病と言う大きなくくりにするのかは検討の余地のあることとして、寄付を募り基金を作って運用すべきだと私は思う。
共助のこころが日本人に根付いてくれることを望んで止まない。