それ判決理由朗読後に実刑か否かを聞いたのだから、記事では「押尾被告は証言台の前で直立したままで、表情に変化はなかった」との表現を使っているが、実は「聞いていなかった」と言うことではないか。
仮に主文を聞き逃したとしても理由の朗読を聞いていれば事の重大性は十分に伝わって来てこれで執行猶予が付くかくらいはいくら無罪を叫んでいたとしても理解できたであろう。
これまでの公判の様子をメディアで見聞きしていると、被告がもっと真摯な気持ちで裁判に臨んでいればもっと違ったものになったろう。
少なくとも執行猶予が付いたのではないか、と思えてならない。
ところが被告はそれを潔しとせず真っ向から向かってしまったために結果としては執行猶予が禁忌されることとなったのではないだろうか。
少なくとも救急車を呼ばなかったことは状況からみて許されざることだ。
もちろん、被告側の言うようにあっという間で呼ぶ暇がなかったということも想像に難くないが、死していたにせよ呼ぶことは可能であったろう。
しかし、それをしなかったばかりかその場から逃げた。
これは人間として許されないことであり、判決に大きく影響を与えた事だろう。
裁判員裁判で執行猶予を回避した以上、二審・三審といった上級審でも回避される可能性は強い。
致死でなかったことを良しとして行く事が妥当ではなかったろうか、と被告には伝えたい。
そうでなければ最高裁で結果がでるまでにはまだまだ時間がかかり、そん頃には皆”押尾学”などと言う人間を忘れていることだろう。