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【朝日新聞】読者投稿「花火中止問題の本質とは」に応える [時事・日常生活]

いじめ都市日進市の花火大会で福島県の花火を使わなかった事に賛否が渦巻いている。
批判が大半なのだが、今回は主催者側の認識が甘かったと言う方の投稿が掲載されている。

不思議なのだが主催者側のどこが認識の甘さなのだろうか。
住民の心配というが、今回寄せられた苦情は20件ほどだと主催者側は言っている。
20件のために中止する必要がどれだけあるのか、とは考えるべきではなかろうか。

今回、この原発事故で放射性物質のことを禁忌している人というのは極々一部なのだ。
それをメディアで取り上げるから多くの人が禁忌しているかの如く思われている。
多くの人がこの状況を受け入れているにも関わらず極々一部の人のためにこうなってしまったということの方を問題視するべきだろう。
「福島の花火を見たい」と思った人の気持ちはどうなるのだろうか。
そういったことが無視され話が進んでしまっている。

投稿者は
「「直ちに影響はない」とはどういうことか、人々は疑っている。国の定めた年間被曝線量上限値は批判にさらされ、食品や汚泥の基準値への不信感も根強い」
と何も信じられないというようだ。
では、一体何を信じて生活しているのだろう。
どの数字も信じられないのであればゼロでなければならなくなる。

ゼロなんていうのは実際はあり得ないのだ。
今、ゼロと言っているのは測定限界以下であるというだけでゼロではない。
事実、測定結果表を見てみれば全て「測定限界値以下」と表示されている。
では測定限界以下なら問題無いのか?
測定限界が1.000であった時、実際の数値が0.999だったら?
そういうことなのだ。

今のように極々一部の人たちの言葉が広まってあまり過敏になってしまうことの方が日本を滅ぼすことになろう。
事実、日進市の市民が福島の農産品を買うなどしているわけでもないわけだから。
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