今日6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦で沖縄守備軍司令官・牛島満中将(死後大将)と参謀長・長勇中将が摩文仁司令部で自決した日(異説もある)にあたり組織的抵抗が終結した日として現在沖縄県の「慰霊の日」として様々な催事が行なわれている。
今年行なわれた文部科学省の教科書検定で「沖縄戦で起きた住民の集団自決事件は日本軍が命令したわけではない」という検定意見により、各教科書でその部分を削除したことに対して沖縄県議会が記述復活を求める意見書の提出を決めた。
今日6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦で沖縄守備軍司令官・牛島満中将(死後大将)と参謀長・長勇中将が摩文仁司令部で自決した日(異説もある)にあたり組織的抵抗が終結した日として現在沖縄県の「慰霊の日」として様々な催事が行なわれている。
今年行なわれた文部科学省の教科書検定で「沖縄戦で起きた住民の集団自決事件は日本軍が命令したわけではない」という検定意見により、各教科書でその部分を削除したことに対して沖縄県議会が記述復活を求める意見書の提出を決めた。
私は、全ての自決が軍からの命令であったとは思わないが、端緒となる部分では「文書」としての命令ではなく「言葉」や「態度」からの命令によることはほぼ間違えはないと考えている。
それは日本軍が住民に手榴弾を配布しているという点からもわかるように、「何かあったらこれを使え」といわれれば、住民が米軍に対して投擲するとは考えられず、自らに使わざるを得ない。
すなわち「死ね」と言っているのと同じだ。
「組織的に命令したことはない」のは事実でも日本軍の軍人が行なったことは組織として責任をとるのは当然ではないか。
まして、久米島で起きた日本軍による住民虐殺は主犯格である兵曹長の言からも事実であることは誰しも認めることだ。
反対に、このような状況下で一部将兵による暴走的命令が無かったと立証できるのだろうか。
というよりも、山にこもって戦うように住民に指示し、従わないものは殺害すると警告されていれば、結果は見えているのだ。
さて、私はここで命令があったか無かったかを追求するつもりはない。
しかし、「なかった」とするのであれば、大日本帝国陸軍沖縄守備隊は守るべき国民を守れずみすみす自決せざるを得ない状況に追い込んだヘッポコ軍隊であったことを認めることになるではないか。
いや、守備軍全員が玉砕したというのであれば、そうは言うまいが多くの日本軍人はおめおめと生き残っている。
民間人が米軍に殺されたわけではなく自決したというのでは、民間人や民間人の屍を軍人が盾にしていたということだ。
軍人を守るために国民を殺したことになる。
このようなことで、散って行った将兵や民間人の名を汚して欲しくないものだ。
一部の不埒で自己保身に走る将兵の暴走を隠蔽するために勇敢に戦った方々の名が汚されることを許してはならない。
それと、あまり「無かった」ことを強調すると「南京大虐殺は無かった」ということも政府の力でなかったことにしているように思われてしまうではないか。
ちなみに、伊吹文部科学大臣は「全てが命令されて起きたことではない」と言っている。
ようするに「全部ではないが一部にはあったかも知れない」ということを秘めているのだ。
その一部を精査しキチンと責任を追求すべきだろう。
「沖縄県民(民間人)が多数死亡したという事実」は紛れも無いことなのだから。
歴史は後世の為政者によって作られるというが、その国の軍隊が国民を見殺しにしたなどと言う歴史にはして欲しくないものだ。
亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りするとともに、あのようなことが二度と起こらぬ平和で安全な国日本を目指して行きたい。