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殺意なしとはこれいかに [山口県光市母子殺害事件考]

やはりと言わざるを得ない。
あの山口光市母子殺人事件であの人権派弁護団は最高裁に対して弁論補充書を提出期限の18日に提出した。
方向性としては下級審での審理には重大な事実誤認があったとして高裁へ差し戻しをすべしという恐るべき内容だった。

オウム松本智津夫裁判でもそうだが、なんとかして死刑にしたくないという一心から法廷戦術を繰り出して来るのだが、あまりにエゲツナイ戦術を続けていると人心を離れさせてしまう。
それこそ、裁判員制度が導入されれば絶対に認められないことだろう。米国では弁護士が俳優かごとくの名演技で騙されやすい米国人を手玉に取っているが、日本ではその戦術は通用しないということだ。

今回の弁護側補充書で問題なのは、「被告に殺意はなく、傷害致死罪などが成立するにとどまる」などと主張していることだ。
人権を人権団体や人権派と呼ばれる人間たちが貶めていた今までであれば通用した手段を未だに使っていることが哀れにさえ感ずる。

それにしても、本当なら一審の無期懲役で確定していたであろう事件が死刑になるであろうとしている今、司法制度の危うさ難しさを感じさせられる裁判であることが痛感させられる。
できうることならば開かれた裁判が行われ、下級審が上級審に判断を委ねるようなことが無くなり、一審であってもキチンと裁けるように裁判所にはなって欲しい。
検察にも、被害者側が望むのであれば負け戦と分かっていても起訴し、下級審で負けても上級審まで持って行ける勇気を持って欲しい。勝率ばかりが検察の権威ではないのだから。
そして、弁護士諸君に対しては、最大に守らねばならないのは社会正義だ。被告を守ることではない。法律によって真実をねじ曲げるようなことがあってはならないと言いたい。

「真実が何か」それが司法では一番大切ことなのだから。


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kenji47

>方向性としては下級審での審理には重大な事実誤認があったとして高裁へ差し戻しをすべしという恐るべき内容だった。

弁護人の行う弁論として、まったく問題ありません。
弁護士は刑事裁判においては「真実が何か」を明かす積極的真実義務はありません。
被告人の権利を守ることが弁護人の務めです。
殺意が有ったか、あるいは無かったかは裁判所が判断すべきことであって弁護士の責任ではありません。
by kenji47 (2006-05-23 01:08) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
>弁護士は刑事裁判においては「真実が何か」を明かす積極的真実義務はありません
と法律を学ぶ方は良く言われますが、実際にそうなのでしょうか?
kenji47さんもブログで書かれていますが、確かにそういう法令や規定があるのでしょうが、それは目に見える部分だけで、法(令や規も含め)が本当に言いたい事、伝えたい事とは違うように思っています。
現代法学では「人間性」が欠けてしまったというか欠けるような読み方しかできないというか、少し残念ではあります。
それから、TBしていただいているのですが、この記事をTBされるのでしょうか?そちらの5月20日分記事と取り違えられていませんか?
by 南雲しのぶ (2006-05-23 06:19) 

宙太郎

法律第一という感覚で裁判を行われることに何かしらの違和感を覚えます。
亡くなった人の人権配慮もなしに、犯人の人権を最大限尊重国ですから。
裁判員制度導入が待たれます。
by 宙太郎 (2006-05-23 08:28) 

南雲しのぶ

宙太郎さん、コメントありがとう。
そこなんです。法律書の表面だけで良いのであればロボットの検察官、裁判官、弁護士がやれば良い訳でマークシート形式で証拠を示して法律の通りに判決を下せば良いと思います。
でも、司法というのはそれだけでは決してないのだと思います。
それは社会的背景や人間的資質などを総合的に判断するからでしょう。
だからこそ人権派弁護士のやっている法廷戦術は裁判の遅延を望んでのこととしか思えないのですよ。
by 南雲しのぶ (2006-05-23 08:42) 

an_accused

>南雲さま
 はじめまして。
 弁護士に「真実は何か」を明かす積極的真実義務がないというkenji47氏のコメントに対して疑問を抱いておられるようですが、kenji47氏のおっしゃるとおりです。

 我が国の刑事訴訟法は「実体的真実の発見」を目標としておりますが、「実体的真実」とは、検察側が証拠を提出して被告人の有罪を主張立証し、これに対して弁護側が被告人の自己防御権を行使し「有罪とするには合理的な疑いがあること」を主張立証するという過程において、裁判官が証拠から認定できる事実を拾い上げることによって浮かび上がってくるものとされています。
 したがって刑事弁護人は被告人の自己防御権を阻害するような活動を行うことは許されません。弁護人にとって「真実発見のために努力する」ということは、被告人の意思に背いて有責答弁を行うことではなく、被告人の自己防御権をとことん行使して検察官のさらなる立証を促し、可能な限り緻密な証明を検察官に行なわしめることを指します。
 もしも弁護人が被告人の主張に耳を貸さず検察官の主張立証に迎合するようになると、検察官の立証が甘くても放置されてしまうことになるため、いい加減な証拠によって判決がなされることになり、結局「真実」から遠ざかってしまうことになるのです。

 現代法学は、「人間性が欠けている」のではなく、「人間は過ちを犯すものだから、とことんチェックしないと真実に近づくことはできない」という現実に立脚した、極めて人間くさいものなのです。

 今回、弁護人らが「殺意なし」との主張をしたのは、被告人がそう主張することを望んだからです。ですから、被告人が「筋の通らない言い訳をして見苦しい」と批判されることはあっても、弁護人が非難を受ける謂れはないのです(弁論欠席は別です。あれは防御権行使の濫用ではないかと思われます)。
by an_accused (2006-05-23 09:14) 

南雲しのぶ

an_accusedさん、コメントありがとう。
いえいえ、私もkenji47さんお仰っていることは理解しているつもりです。
その上で敢えて司法素人という立場で述べさせていただいています。
ただ、被告人が嘘をついているにも関わらず被告人に迎合した行動を取るのだけはやめて欲しいと願っています。
今回の場合は特に「死刑を否定する」ことを自らの存在意義であるかのような行動をする人権派弁護士であり、被告に有利というよりも自分の戦果を高めるための無益な争いになっているのではないかと危惧をしております。
事実、an_accusedさんが別問題と言われる弁論欠席など不信感を高めるような行動を平然としていることが疑念を呼んでいると私は思っています。
by 南雲しのぶ (2006-05-23 09:59) 

an_accused

>南雲さま
 応答をいただきありがとうございます。
 「被告人が嘘をついている」かどうかは、他の証拠に照らさなければわかることではありません。もし最高裁が今回の「殺意なし」との主張について説得力を有すると考えれば、その部分についての審理が尽くされていないとして原審に差し戻すでしょうし、今までの採用証拠からその主張に説得力がないと考えれば、自判するなり別の部分(量刑など)の審理を求めて差し戻すでしょう。

 しかし、弁護人が勝手に被告人の代弁をせず、「殺意なし」との主張を行なわないことは許されません。被告人の主張が嘘であるなら、きちんと判決で「嘘である」と認定されて初めて、刑事司法における正義が実現するのです。そして、弁護人が被告人の主張を握りつぶして裁判官に主張の当否を判断させないことこそ、あきらかな不正義なのです。

 また、弁護人が死刑廃止運動にかかわっていることと、その弁護人が具体的な裁判の場で事実を争っていることは別の話です。弁護人がどういう意図であれ(死刑廃止に向けた信念であろうと莫大な報酬だろうと功名心だろうと)、その主張立証の結果極刑が妥当ではないとの判決を獲得したのならば、それは単に検察の主張立証が失敗したことを示しているに過ぎません。弁護人による徹底した反証に曝されてこそ、「真実」に近い判決が得られるということを考えれば、「真実」を求める立場から弁護人に対して弁護を抑制すべきであるなどという考えは生まれないはずです。「真実なんてどうでもいい、悪そうな奴はどんどん吊るせ」というのであれば話は別ですが。
by an_accused (2006-05-23 10:30) 

kenji47

すいません。
tbする記事間違ってました。
by kenji47 (2006-05-23 10:38) 

南雲しのぶ

an_accusedさん、コメントありがとう。
「被告人が嘘を・・・」の点は、今回の事件に限ってではなく全般的な話としてナノですが・・・。
今回、最高裁が自判するか否かというというに私は興味を持ってみていますし、そうすべきとも考えています。
確かに判決が出るまでは「真実」は確定しませんから見守っていこうと思っています。
被告の主張が本当であるか公判で弁護できる内容であるかくらいは確かめて欲しいものですね。
もちろん、弁護士の信条と弁護活動は別でなければなりません。
しかし、今回はどうでしょうか。世間からは悪意としか見てもらえないような法廷戦術を駆使していることが裁判の信頼度を貶めているのではないでしょうか?
それで得た真実とは一体なんなんでしょうね。
by 南雲しのぶ (2006-05-23 10:46) 

an_accused

 「被告人が嘘を・・・」について述べた部分は、一般論としても妥当します。弁護人からみて明らかな嘘に思えるような主張を被告人がする場合、その主張をすることによって裁判官の心証を害し、量刑面において不利になるおそれがあることを説明してもなお被告人が主張を変えない場合、弁護人は被告人の主張に沿った弁護活動を行なうことが義務付けられます。

 「それで得た真実とは一体なんなんでしょうね」とのことですが、何度も申し上げているとおり、それは「世間からみて悪意としか映らないほど徹底した抵抗を乗り越えて辿り着いた、堂々たる事実」です。いい加減でおざなりな抵抗を乗り越えてたどり着いた事実より、よほど信頼に足るものと言えるでしょう。
by an_accused (2006-05-23 11:06) 

南雲しのぶ

an_accusedさん、コメントありがとう。
確かにそうかも知れませんね。「嘘も百回言えば真実になる」という諺がありますが、明らかに騙す意図で弁護士が立ち回ればそれを見抜けるかどうか分からないですよね。
心証を悪くするか否かは弁護士や検察官、裁判官それぞれの力量次第なのかも知れません。
それと「真実」とは同じなのかも知れませんね。
by 南雲しのぶ (2006-05-23 11:22) 

an_accused

>南雲さま
 応答いただきありがとうございます。
 一見「真実」とは全く正反対の主張をしていたり、重箱の隅をつつくように捜査機関の不手際を言い立てたりしているように見える弁護人が、刑事司法システム全体としてみれば「真実」発見のために充分貢献しており、また我が国の正義を支える柱として機能しているということさえご理解いただければ幸いです。
 刑事弁護人はあくまでも被告人の主張に沿った形で被告人の自己防御権の行使を手助けしているのであって、別に社会や裁判所を騙したいと考えているわけではないのですよ。
 弁護人に「積極的真実発見義務」を科し、被告人の利益よりも社会正義を優先させていた国があります。旧ソ連邦です。旧ソ連邦では、無実を訴える被告人の横で「被告人には死刑が相当である」と弁論する弁護人がいたそうです。私は、そういう国に生まれなくてよかったと思いますし、我が国をそういう国にしたくないと考える次第です。
by an_accused (2006-05-23 13:17) 

南雲しのぶ

an_accusedさん、コメントありがとう。
an_accusedさんはコメントを読む限り弁護士さんとお見受けします。
確かに弁護士という仕事の内側からみられているとそうなのかも知れません。
私は素人ですので法の解釈とか実際の裁判内容とかに精通していませんが、この件に限って言えば人権派弁護士(団)は、手順をゆがめようとしているとしか思えません。
少なくとも最初の弁論を欠席したというところに全てが起因しており、信頼性が全く無いと言う状況です。
それ以降の彼らの対応は最初のミスを取り返すまでには至って居ないので、何を言われても嘘に聞こえてしまうというのが実際でしょう。
まして、出て来て話をしたかと思えば、女児に対しては首を絞めたのではなくあやすために蝶々結びをしただけ、などと言い放つ。
これでは下級審で被告のした証言は嘘だったということになってしまいませんか?など不信だらけです。
安田弁護士らは「これで真実が掴めた」と思っているのかもしれませんが、反対に如何に下級審の審理がいい加減な物かということを露呈させているに他なりません。
これでは全て最高裁まで行かねば真実が見つからないということになりませんか?
それにこれは検察側からの上告審なわけで、弁護側の主張が通って減刑がなされるとしたらおかしな事になりませんか?
法律用語に詳しく有りませんので擁護の使い方にあやまりがありましたらお許しください。
by 南雲しのぶ (2006-05-23 13:54) 

an_accused

>南雲さま
 応答いただき、ありがとうございます。
 私は「弁護士という仕事の内側から見ている」と評されるような特殊な体験談を話しているわけではなく、我が国を含むいわゆる近代国家が、裁判官と検察官が一体となった刑事司法手続(糾問的刑事司法)が数々の冤罪を生み出してきたことへの反省を踏まえ、中立的な裁判官が対立当事者の主張を聞いて判決を下す形の刑事司法手続(弾劾的刑事司法)を採用するようになったという、一般に知られた制度史を踏まえて見解を述べているに過ぎません。

 具体例については、以下、新聞・テレビ報道等を元に考えてみます(長文になりますがご容赦ください)。
 安田・足立両弁護人(以下「安田弁護人ら」という。)が弁論を欠席したのは確かにまずかったと私も思います。
 しかし、「どうせ無期懲役だ」と高を括っていた被告人が、最高裁による弁論期日決定を知り、その意味(死刑判決も充分ありうること)を前任の弁護人から聞かされたことにより、相当うろたえたであろうことは想像に難くありません(情けないとは思いますが、その程度の人間だから後先も考えず卑劣な犯行ができるのです)。
 うろたえた被告人が、二審までの主張を翻し「殺意などなかった」と主張し始めても、弁護人としてはどうしようもありません。「そんなことを主張しても心証が悪くなるよ」と言ったところで、もともと心証は最悪なのですから素直に聴くはずもないでしょう。
 前任の弁護人としては、一・二審でしてきた主張を根底から覆すような弁論をするわけにはいかないでしょうから、誰かに引き継ぎたかったというのも理解できますし、安田弁護人らならこのような事案を断らないという見込みもあったのでしょう。だから、安田弁護人らに共同弁護人になってもらい、弁論を担当してもらうことをもちかけたのです。
 安田弁護人らは前任者と共同弁護人になるつもりで被告人に接見したと後に述べています。ところが接見してみたら、一・二審の主張と全く異なる主張を被告人がする一方、前任の弁護人はその主張に従うことにためらっており、両者の信頼関係が崩れていることを知ることになります。
 前任の弁護人は弁論を担当しない(そもそも信頼関係が崩れているので弁護自体難しい)、かといって自分が弁論を担当するには準備期間がなさ過ぎるという状況で、安田弁護人らは「欠席」を選択したわけです。その選択が正しいとは思いません(もう少し早く接見しておくべきだったと思います)が、正直なところ、裁判所が期日変更の申請を受けて1ヶ月程度の延期を認めていても、まあ罰は当たらなかったんじゃないかなと思います。

 そして、裁判所は安田弁護人らの事情を知るからこそ欠席判決に踏み切らず約1ヶ月後に改めて期日を指定したわけですし、安田弁護人らは新たに指定された弁論期日に出席して弁論したのですから、欠席問題は手続上解決しており、これ以上引きずる必要はありません。

 安田弁護人らの弁論内容がにわかに信じがたいものであるということはよくわかります。足立弁護人がワイドショーに出演した際、出演者から「逆手で首を絞めているのは殺意がなかった証拠だというが、死ぬまで首を絞めようとすれば数分は絞め続けなければならない。殺意はあったのではないか」と問われて返答できていませんでした。弁護人ら自身もこの主張には無理があることをはっきりと自覚しているのです。しかし、既に述べているとおり、被告人が「殺意なし」と頑なに主張している以上、弁護人はそれに従うほかありません。そして、被告人の主張に従う以上、それを信じていないそぶりを見せるわけにはいきません。「被告人はこう言ってます。私は信じてないけどね。」なんて態度は取れないでしょう。「これで真実がつかめた」と考えているように見せるのが弁護人なのです。弁護人すら信じていなさそうなものを、どうやって裁判官に信じさせることができるでしょうか。弁論内容やそれを信じているかのような態度について、安田弁護人らが咎められる筋合いは全くありません(被告人の往生際の悪さを非難するのなら理解できますが)。

 一・二審での主張と最高裁での主張のどちらが正しいのかなんて誰にもわかりません。もっと言えば、両方とも正しくなくても、全くかまいません。どちらにしても、どこかに嘘はまじっているのでしょう。被告人がなんと言おうと、数分間首を絞め続けたという客観的事実から殺意の有無は認定できるでしょう。

 また、裁判が全て最高裁までいかなければならないなんてことはありません。判決に不満があれば、あと2回審理してもらえますよ、というだけです。実際、1回で納得する人もたくさんいます。
 また、弁護側が「重大な事実誤認」を理由に、最高裁に対して原判決の破棄を求めることに問題はありません。同時に、弁護人が主張したことが必ずしも最高裁に取り上げられるわけではないことは言うまでもないでしょう。最高裁が原判決の事実認定を否定しない限り、下級審の審理がいい加減なものだったとは言えません。安田弁護士らが「殺意なし」と主張しているというだけで、なぜ原審・原原審の事実認定がいい加減なものかを露呈させていることになるのか、私にはよくわかりません。
by an_accused (2006-05-23 17:36) 

南雲しのぶ

an_accusedさん、コメントありがとう。
法律に不慣れな私の無謀な主張に温かくご指導いただき重ねて感謝いたします。
今回お話を伺っていて世間ではわからないようなことが司法の世界で動いているのだなぁと感心させられました。
さて、本題に戻りますが、法律論だけ言えばan_accusedさんの仰る通りだと思います。
しかし、市井に住まうものとしてはそう思えないというのが正直な気持ちです。
欠席問題がすでに解決しているということなど一番の差だと思います。市民感情としては、全く解決していないと思います。これは私だけでなく。
補充書の提出とて裁判長の温情でしかなく、本来であれば認めるべき事ではなかったと私は思っています。しかし、司法の世界では違うのでしょう。
それは、一回目に欠席せず堂々と2ヶ月先(5月)まで補充書の提出を認めて欲しいと何故訴えなかったのか、ということです。
各種メディアには裁判所がどうせ補充書の提出を認めるから自分たちから言わなかったというものがありました。裁判所が言ったことで我々が要求した物ではないと言いたいがためなのでしょうか?
足立弁護士のワイドショー、私も観ました。録画もしました。繰り返しみれば観る程に矛盾ばかりです。
もちろん、一番責められるべきは被告人の往生際の悪さだと分かっています。
しかし、被告人の往生際の悪さが分かっていながら弁護を応諾するということ自体問題なのだとも思っています。
彼らが弁護を引き受けなくとも最悪国選という手段すらあるのですから。
結局、引き受けたのは「人権」「死刑反対」という彼らの主張があったからと受け取られても仕方無いのではないでしょうか。
それとも、被告人が元弁護士との関係が悪かったから義憤にかられてということなのでしょうか。
いずれにしても「断らないとおもったから」と言って招聘されたとしたらこれまた問題なのではありませんか。
an_accusedさんに教えていただかなかったら誤解したままで有ったろう部分も多々有り、大変ありがたく思っております。
ただただ、市井の民に理解されないような今回の被告人や弁護団の行動がどれだけ認められるのか興味を持ち連載しております。
by 南雲しのぶ (2006-05-23 19:12) 

kenji47

>我が国を含むいわゆる近代国家が、裁判官と検察官が一体となった刑事司法手続(糾問的刑事司法)が数々の冤罪を生み出してきたことへの反省を踏まえ、中立的な裁判官が対立当事者の主張を聞いて判決を下す形の刑事司法手続(弾劾的刑事司法)を採用するようになったという、一般に知られた制度史を踏まえて見解を述べているに過ぎません。

an_accusedさんご指摘のとおりだと思います。
法律に特に詳しくない方は、裁判というのは裁判官・検察官一緒になって皆で悪人を断罪する場だと思ってらっしゃるかもしれませんが、そういう制度ではありません。

極めて単純に私の好きな野球にたとえてみれば、裁判官はプロ野球の審判みたいなものなんですよ。検察官が巨人、被告人が阪神そして弁護人は阪神の監督かヘッドコーチみたいなもんです。それで審判は普段はボーッと両チームが戦うのを見ているのですが、必要な時には適切なジャッジを下す、そんな感じです。それで勝敗を競うわけです。
だから戦う両チームとしてはルール違反でない限り、どんな作戦もアリです。

スポーツに喩えるなどけしからんとお思いになるかもしれませんが、そういう「制度」だということです。
その制度の中で安田弁護士は勝利のためにルールに反しない範囲で戦っているのです(欠席はルール違反ですが)。
咎められるいわれはありません。

結果として審判のナイスジャッジで検察官が勝利し、かりに被告人が死刑になったとしても、死刑制度の是非はともかく、それは適正な手続を経た正しい裁判なのです。
by kenji47 (2006-05-23 19:17) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
法律は法律ですからそれに違反していなければ許されることなのでしょう。
ただ日常生活ではどの程度通用するのかなぁ、と思っております。
これから裁判員制度が導入された時、裁判員側の問題よりも司法(裁判所、検察、弁護士)側のギャップが大き過ぎて問題になるのではないか、という疑念がわいてきます。
市井の民は法律書など持って生活していないわけで、それを法律論やこれまではこうだったと押し付けるようになれば誰も裁判員にはならない、いやなれないでしょう。
適切な司法判断とは社会から隔絶してしまってはいけないと私は思います。

そうそう、せっかくいただいたTBですから削除していませんが、正しい記事に差し替えていただけると幸いです。
by 南雲しのぶ (2006-05-23 19:44) 

kenji47

裁判員制度が導入されても、それは喩えの事例では審判団に民間人が加わるだけで訴訟制度の本質は変わりません。
被告人側が「常識」に反することを主張してもそれを妨げることはできませんが、それはそういう「制度」だからだと理解していただくほかないです。

そして、当事者による主張・立証に対して、
裁判員は自己の良心に基づいて判断を示すことになるわけです。
この判断は誰かに押し付けられたりするものではありません。

私は、むしろ民間人が審理に参加することで、司法への理解が高まることを期待しています。
by kenji47 (2006-05-24 00:31) 

南雲しのぶ

kenji47さん、コメントありがとう。
確かに被告人側が常識の無い主張をすることは可能でしょうが、それが認められる可能性は低くなるのではないでしょうか?
それに期待したいものです。
きっと司法への理解度は高まるでしょう。そして司法の閉鎖性が少しでも改善されることを期待したいものです。
by 南雲しのぶ (2006-05-24 06:08) 

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