何だこれは。
「準備期間が足りないので延期してくれ」と言っていたので、まさかとは思いつつ今日の日を見守っていたがこういうことになるとは思いも至らなかった。
あげく、もう一つの言い訳があることが分かった。「裁判所が押し進めている裁判員制度の研修会のリハーサルが事前に決まっていたから」だと。
この口頭弁論はもっと前に決まっていたんじゃないのか。裁判に出廷するより大切なことがあるのか。それとも「日本弁護士連合会」が「裁判よりも日弁連主催事業を大切にしろ」と命令したのか。
これが弁護士のやることなのか???
これが人権派と呼ばれる弁護士の正体なのでしょう。
死刑反対派はたいていこのような法廷戦術を平気でつかいます。
これが司法に携わる人間のすることとはとても言えないのです。
人権派の重鎮と言われるK弁護士など、被害者遺族である本村洋氏に対して「加害者の少年の死を願ってあなたはそれで満足なの?」だの「相手の死を願うあなたは間違ってる。あなたのためを思っていうんだ」だのという思い上がりがある。
死刑など無い方が良い。しかし、死をもってしか償うことのできないことだってあるのだと思う。懲役して反省をしてそれで社会復帰できることはそれで良いだろうが、人を死に至らしめた以上潔く償うべきではないか。
死刑判決は執行をするための法律ではなく、もう死を持って償うしかないんだよ、と引導を渡しているに過ぎない。本来であれば判決を真摯に受け止め反省した上で自ら命を絶つことが望ましいのかもしれない。
暴論と言われるだろうが私はそう思う。
K弁護士や今回の安田弁護士もそうだが、人権派と言われ死刑反対を売りにしないと喰って行けない人は可哀想だ。
現在ある法律を遵守するから司法で飯を喰っているわけで、裁判をすっぽかして良いというと言うことにはならない。
反対に思うのだが、今回のようにすっぽかして中止になることが既成事実になった場合、逆に被告側が上告して検察がすっぽかしていつまでも裁判が確定せず、被告が長く拘置されるに至った場合は被告の人権は守れるのだろうか。
今回のように死刑か無期かを争うことであれば、いつまで拘置されたところで実質変わりはないだろうが、懲役2年くらいで裁判の正当性を争ったりしている場合はどうだろうか。
まぁ、この事件の場合、法廷戦術に打って出る以外、方法が無いことを今回のことで示したに過ぎない。
最高裁には、常識を持って一審二審が人権派や人権団体にビビって躊躇したことが誤りであり、今後、地裁、高裁は堂々とすべきであるということを示せる判決を望む。
人権派が本当の人権を蝕む不逞の輩でしか無いことが今回のことで良くわかった。
と、同時に日弁連もこのような奴らのすっぽかしの理由として使われるようなことの無いよう、懲戒も含めて徹底的な解決を求める。
そのために日弁連あてにメールを出しました。回答があり次第、送信内容も含めて記事にさせていただきます。